ほうき星を追いかけて

星のこととか、日々感じたこととか、いろいろ。

月のノスタルジー ニワトリは卵の殻を見て何を思うのか

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こんばんは、わかばです。

養命酒ソーダ割りを飲みつつ、パソコンからこのブログを書いています。ですから、いつも以上に文章が怪しくなるかもしれません。笑

お酒苦手なんですよね。飲みたい気持ちはあるのですが、酔う前に気持ち悪くなってしまうので、口にしないようにしているんです。にも関わらず、ソーダ割りを飲んでいるのは虚弱体質を治したいから。体にいいと評判の養命酒ですが、実はアルコール度数が14%もあるらしい。

二桁……!下戸にとっては未知の数値です。薄めのものをちびちび飲みながら、慣れていきたいと思っています。

さて、だいぶ前に月の欠損について書いたものをアップしましたが

wakaba-star26.hatenablog.com


今回はおまけとして、月が私たちに訴えかけてくる感覚について綴っていこうと思います。

月の感覚を一言で表すとしたら、ノスタルジーです。

タロットカードでいうところの、カップの6ですね。美化された記憶、幼い頃の夢、親に抱かれていた時の安心感など。どこか懐かしさを感じるもの、特に物心がついた頃の記憶などは全て、月が呼び起こしています。

親しみやすさを感じるけれど、もう二度とは戻れないもの。そういったものに没入するのが特徴です。

あ、先に書いておきますけど、月の感覚に浸ることが悪いわけではありませんよ。過去を懐かしむくらいなら問題はありません。そもそも月は悪者ではないですしね。

ですが、依存するのは良くないことです。進歩を妨げますから。あとは、気分が落ち込んでいる時ーー、それもすこぶる落ち込んでいる時は、月に焦点を置かない方がいいでしょう。不安定かつ曖昧なものですから、かえって心の傷を深くしてしまいます(代わりに金星や海王星を使うといいですよ)。


少し話は変わりますが、ヘルマン・ヘッセという作家さんをご存知でしょうか。20世紀にドイツで活躍した方です。

代表作として『郷愁』や『青春は美わし』、『シッダールタ』などが挙げられますが、有名なのは『車輪の下』でしょうね。国語の教科書などで、推薦図書として掲載されています。

私が中学生の時には、『少年の日の思い出』が教材として使われていたんですけど、今はどうなんでしょう。
(「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」の作品です。作者の名前は覚えていなくとも、この言葉だけは覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。)

このヘッセさんの作品で、月の感覚を上手に表現している文がありましたので紹介しますね。

まずは『車輪の下』から。

主人公ハンスが、疲れきった心を癒そうと幼い時を過ごした場所を尋ねたあとの文です。

「ハンスはしばらく聞いていたが、暗い玄関をぬけてそっと引き返し、家に帰った。彼はやはりもう二度と子どもにはなれないこと、夕方皮なめし場でリーゼのそばにこしかけることのできないことを感じた」
ヘルマン・ヘッセ高橋健二訳『車輪の下』(1951年、株式会社新潮社)165ページ

続いて、『デミアン』から(この作品、おすすめです)。

幼年時代は私の身辺から崩壊し去った。両親は一種の当惑をもって私をながめた。(中略)ときおり母は、前もって別れを告げる気持ちで、特別の愛情をもって私に近づいて来、愛と郷愁と忘れることのない愛着を、私の心の中に目に見えぬ力で植え付けようと努めた。」
ヘルマン・ヘッセ高橋健二訳『デミアン』(1951年、株式会社新潮社)102、103ページ

ね、月っぽいでしょう。笑

前者は記憶を辿った結果で、後者は成長(太陽)への第一歩を踏み出した場面を描いています。

ハンスとシンクレールがどうなるのか。ぜひ、本を読んで確かめてみてください。

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さて、月の良さとして挙げられるのが、その純粋さです。

マドモアゼル愛先生もおっしゃっていますが、月にはピュアな夢が宿っているんですね。
(祈りにつなげると効果的なのだとか。月は無意識を表すこともあるから、よく届きそう)

あまりに美しいので、海王星の仕業ではないかと疑ってしまいそうになるのですが、月です。違いはその距離感にあります。

海王星は壮大で限りなく遠い夢を見せますが、月は手の届きそうな夢を演出します。届きそうだけど、絶対に届かない夢。ファンタジー小説と小さい頃に書いた絵日記のような(分かりづらっ)ものですね。

親近感があるのですよ。かつて存在していたであろう、温もりを感じることができる。だから、癒されるのです。月がリラックスした状態の自分だと言われるのは、この親しみやすさにあるのだと思います。

実際は、「自分であったもの」なんですけどね。私たちは、その片鱗を見て懐かしんでいるわけです。

生まれてきたヒヨコは、もう二度と卵には戻れません。しかし、温められていた記憶は覚えている、かもしれない。知らんけど。

皆さんも、疲れた時は記憶をたどってみてください。きっと、美しい夢に出会うことができますよ。