人は矛盾した感情を同時に抱くことができる。
ホロスコープについて書こうとしたものの、いまいち筆が乗らなかったため雑談に逃げています。
こんばんは。
あ、ちなみにホロスコープとホロコーストは違いますからね。ここで書いているのは、西洋占星術。つまり、星占いについてです。ナチス及びユダヤ教は関係ありません。どうか勘違いなさらぬよう。
(なお、ヒトラーは占星術師を雇っていたことで有名ですが、それとこれとはまた別の話)
さて、現在「神々と肉食の古代史(平林章仁著 吉川弘文館)」という本を読んでいるのですが、どうです?タイトルからして、面白そうでしょう。
神様については以前も言及しましたが、
今回は概念としての神様ではなく、神話として歴史に残っている神様についてです。
「神々と肉食の古代史」では、主に日本の神様がたくさん出てくるのですが、これがもうね、色々とすごいんですわ。
ギリシャ神話しかり、メソポタミア神話しかり、多神教の神々は異常に人間臭いことで有名です。西洋占星術においては、ギリシャ神話を覚えておくことが必須なので、様々な逸話を読みました。嫉妬や独占欲、理不尽極まりない仕打ち、ゼウスおじさんの好色ぶりなど。それはもう、ドロッドロの世界です。
我が国の神話もなかなかに興味深いのですが、他の国と比べるとね……。なんかこう、質が違う。
密度が濃いというか、予想の斜め上をいっているというか、外国の方が知ったら「さすがhentaiの国ですね」と言いかねない物語性があります。
ゼウスさんのそれが光源氏的なのに対して、古事記に出てくる殿方はローマ皇帝のネロ。……うーん、違うな。上手い例えが思い浮かばないんですけど、要は常軌を逸しているということです。
(そこにもちゃんと意味はあるんだろうけど)
具体的なエピソードを書くのは気が引けるので、ぜひ各々で調べてみてください。「古事記」で検索をすれば、面白いサイトと巡り会うことができるかもしれませんよ。
ところで、こういった神話に出てくる神様は、実在した人物を神格化したものだといわれていますが、別の見方として、人の側面を描いているというものがありますよね。
うさぎの皮をアレしちゃう残酷さも、それを救う優しさも、ぜーんぶ心の中に存在しているものだと。
例えば、残忍なことで有名なインドの女神様カーリー。彼女はパールヴァティーの別の顔だという説があります。パールヴァティーは美しく穏やかな女神様ですが、怒ると(カーリーになると)シヴァでも手がつけられません。
一見矛盾しているようにも思えますが、こういったことは現実の世界でも見受けられます。お母さんや妹には優しいのに、学校の大人しい女の子に対しては容赦がない、だとか。その子だって、誰かの妹かもしれないのに不思議ですよね。
踊り、遊び、暴れまわる神々は自分の一部である。
そう考えると、神話がよりいっそう奥深い物語に思えてならないのです。