ほうき星を追いかけて

星のこととか、日々感じたこととか、いろいろ。

【西洋占星術】射手座満月と天秤座について


こんばんは、わかばです。

一昨日は射手座満月でしたね。個人的な話になるのですが、満月付近は体調を崩すことが多いです(ホルモンバランスの関係)。予告なしに休んだ時は、「ああ、満月なんだな」と見守ってやって下さい。ベッドにばたんきゅしています(笑)

さて、肝心の射手座満月について。すでに記事がたくさん上がっているでしょうから、軽く触れるだけにしておきます。

まず射手座についてですが、冒険や教育、宗教、外国などを表している星座です。ナチュラルハウスは9ハウスで、3ハウスとは対の関係にあるお部屋ですね。3ハウスは双子座のナチュラルハウスですから、前回の双子座新月からの流れが続いているようで少し面白いです。

目立つ配置といえば、月ー太陽ー海王星のTスクエア、水星ー冥王星(逆行)ー海王星の小三角がありますが、この海王星というのがキーポイントです。海王星は夢と理想の星。それが木星と同室にありますから、妄想爆発状態です。

各天体のサビアンシンボルから鑑みるに、「理想ばかりが先行して、土台が整っていないのにも関わらず、無茶な冒険に繰り出したくなる」ような満月図だなと。今までのやり方と新しい方法との間で葛藤が起きています。

個人としては、わけの分からんものに投資をした人が多そうですね。例えるなら、突発的にやりたいと思ったことに関してのセミナー(めっちゃ怪しい)に足を突っ込んだだとか。損失も一つのお勉強ですから、別に悪いことではありません。が、これが国全体となると……。ゾッとしませんねえ(笑)

とはいえ、前回に引き続き、主要な天体はほとんど1~6ハウスに集まっていますので、大事にはならないと思います。せいぜいが国民に叩かれるくらいではないでしょうか。まあ、叩かれていない日の方が珍しいですけれども。

以上で、満月図の読み取りは終わります。おまけ話として、天秤座さんについての考察を。

エレガントかつ器用な天秤座さん。私の周りには非常に多いです。もちろん、ひと口に天秤座といっても個性は様々なので、みんながみんな同じ性格だというわけではありません。ですが、彼女たちを見ていて思うことが一つあります。

それは、相手に特別感を抱かせるのが上手だということ。

文字に起こすのは難しいのですが、まるで図書館ねこのデューイのような?



デューイをご存知ない方に向けて説明しますと、彼はある図書館の看板猫でした。図書館の中で目覚め、図書館の中で眠るという生活を送った子です。

デューイは賢いおネコ様で、落ちこんだ人がいた時には少しだけ長くその人のそばで過ごしたそうですが、ほとんどの場合は、来館者たちに対して平等に愛情を注いだそうです。猫嫌いの人間や自分に対して興味のない人間には、近寄らないよう配慮していたのだとか。

にも関わらず、来館者たちは言います。「自分こそがデューイにとって特別な人間、彼のお気に入りなのだ」と。

彼が使っていた魔法ーー、言い換えればコミュニケーション能力ですが、これに近いものを天秤座さんは持ち合わせていると思います。手に入りそうで入らない距離、だけども親近感を抱かせる。人気者が多いのにも頷けます。

お読みになっているあなたが天秤座なら、積極的に人と関わってみるといいかもしれません。思わぬところで、才能が開花するかもしれませんよ。




天秤座の芸能人といえば、TWICEのサナさんや渡辺直美さんが挙げられますが、彼女たちはお話が上手ですよね。

渡辺直美さんのライブ動画を見ていると、まるで女子会に参加しているような気分になります。遠い存在なのに、年上の友人と話しているみたい。

まさに天秤座マジック。

意外なところでは、暴露系youtuberの東谷義和さんも天秤座です。やっていることがいいか悪いかは別として、あの人脈の広さやケアの細かさは天秤座らしいなと思います。


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地球から宇宙人へ、応答せよ


そこに愛はあるんか


こんばんは、わかばです。

たまには占い師らしく、スピリチュアルなお話でもしましょうか。そういった分野が苦手な方はブラウザバックで。お好きな方も、あまり真剣には捉えないで下さいね。おとぎ話だと思ってお読み下さい。

先日、友人からわかばって、スピリチュアル好きじゃん。この本知ってる? 」と聞かれまして。『アミ 小さな宇宙人(エンリケバリオス著)』という小説についてだったのですが。



こちら、スピリチュアル界隈では有名な作品ですね。この作品と『アルケミスト』は、よく名前が挙がっているような気がします。

内容をざっくり書きますと、「チキュー人、ヤバン。トリアエズ精神ノレベル上ゲテモロテ」といった感じです(本当にざっくり)。このままだと、星が荒廃してしまいますよ、というやんわりとした警告ですね。詳しくは書籍を読むか、友人曰くNaokiman Showさんが動画を上げているらしいので、そちらをご覧ください。

で、そのアミがおっしゃるには、人の持つ愛の度合いが強ければ強いほどいい世の中になると。まあ、当たり前ですよね。問題はここからで、アミたちには地球人の持つ愛の強さが分かるというのです。あるセンサーを通すことで、対象が持つ愛の強さを数値として可視化することができるらしい。

これね、読んだ時は非常にモヤっとしたんです。

私たちが想像する宇宙人は、大体2つのパターンに分かれます。一つは、ホーキング博士が懸念していたような侵略者タイプ。もう一つは、優れた頭脳と博愛精神を持つ神様タイプです。アミたちはおそらく、後者の方に属しています。

youtu.be

そんな聖人たちが、愛の度数なんぞで人間を判断したりするのか?と。そもそも数字自体、地球人専用の言葉みたいなものです。愛という振れ幅の大きい感情を表すには、あまりにも不向きな言語。アインシュタインですら数式にできなかったものを、そう簡単にまとめることができるのでしょうか。

ここからは、

・宇宙人は存在している。
・非常に高度な文明を築いている。
・地球人の存在を認識している。

これらを前提として話を進めますが、私が思うにですね、宇宙人の愛って「見守り型」なんですよ。彼らに愛という概念が存在するならばの話ですけど。

以前、神様について自論を述べましたが、

wakaba-star26.hatenablog.com

この感覚と非常に近いのではないかと思います。アミの言葉を借りるなら、「他の文明に手出しをしてはいけない。それが宇宙のルールだから」ですね。

一見すると冷たいように思えますが、我々もやっていることです。チンパンジーが仲間を痛めつけているからといって、研究者がそれをやめさせるようなことはしません。そんなことをしても意味がないということを知っているからです。

宇宙人にとって、我々の争いは自然界における動物と同じーー、集団いじめをするイルカ、残酷な食べ方をするヒヒ、子どもを突き殺す雌鶏ーー。だから、地球に介入してこない。ましてや人間には理性があって、その気になれば平和を選ぶことができる。だとしたらなおさら、助けてやるなんて考えは浮かんでこないでしょう。

ですから、別の星に介入してはならないと言いながら、愛の度数が強い人間のみを選んで助けました、というアミには矛盾を感じるんですよ。選民思想も甚だしいな。人間と同じじゃないかと思ってしまうわけです。

火星人とお話したい

フィクションに文句つけてんじゃねーヨ!って感じですよね、すみません。ことスピリチュアルのこととなると熱くなってしまうのです。お許しを。

ただね、もし本当に宇宙人がいたとして、その方々のレベルが高かったとしても……。いや、高いのなら余計に、救世主のような真似はしないと思うんですよ。そんなことをしたら、人類が成長しないでしょう。個人的に、最後の審判なんてものは起こらないと思っています。

なお『アミ 小さな宇宙人』自体は良書ですので、興味がある方はぜひ読んでみて下さい。30年以上愛される理由がそこにあります。

というわけで、妄想話が終わるわけですが。本当のところはどうなのでしょうね。宇宙人、いたらいいな。この広い宇宙に地球人だけだなんて、少し淋しすぎるもの。

読者様の中に火星出身の方がいらっしゃいましたら、至急テレパシーにてお知らせ下さい。取材をしにそちらへ向かいます(笑)




動物といえば、親戚に生物学者がいまして。今のような状況になる前は、『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』の作者さんのような生活を送っていらっしゃったのですが。



その方から、「動物を見ていると、いかに私たちがディ〇ニー的な幻想を抱いているのかが分かる。彼らの生き方は非常に人間らしい。知能が高ければ高いほど近くなる。(中略)

言い換えれば、人間はいまだに獣の状態から脱せていないということだ。彼らが賢いのではなく、実は私たちが愚かなのではないか」という手紙、もとい小論文を頂いたことがあってですね……。

何というか、切なくなってきますよね。

理性が必要な時こそ、和の心を


だから、白黒つけないカフェオーレ


こんばんは、わかばです。

先日、『エラゴン 遺志を継ぐ者(クリストファー・パオリーニ著)』という児童書を手に入れましてね。睡眠時間を削りながら、一心不乱に読んでいました。



エラゴン』、子どもの時からの憧れの本だったんですよ。その存在には気付いていたけれど、横目で見やるだけで終わらせていたんです。なぜなら、あまりにも分厚すぎるから。あれを見たら、『ハリー・ポッター』なんて目じゃないなと思えてくるくらい。

感想の方はというと、児童文学としては完璧だと思います。十代の少年が書いたにしては、恐ろしいほど出来がいい。あれだけの文章を書いて、ちゃんと完結させているのだから素晴らしいです。物語を完成させることほど難しいものはないですからね。この世には、未完の名作がごろごろ転がっています。

気になるところといえば、独自性に欠けていることですね。世界観が『指輪物語』そのままな上に、登場人物(特に主人公)に魅力がありません。伏線の張り方も雑なので、すぐに展開が読めてしまいます。どうせマータグが実の兄貴で、敵対するんでしょ。続編を読んでいないうちから想像がつくもの。

ご都合主義なのも相まって、読み手側の感覚としては、最初からレベル99の状態でRPGをプレイしているような気分でした。「映画は駄作だけど、原作は神」という声を聞きましたが、私の中では良作どまりでしたね。大人の方には、少し物足りないと思います。親御さんには『指輪物語』を、お子様には『エラゴン』を。でちょうどいいかもしれない。

で、本題に入りますが(笑)すみません、いつも前置きが長くて。……こういう西洋ファンタジーを読んでいて思うんですけど、ものすごく世界観が分かりやすいですよね。

「我々は白!あいつらは黒!悪者をぶっ潰せ!! 」の勧善懲悪の世界です。『ハリー・ポッター』、『ナルニア国物語』、『ゲド戦記』、『指輪物語』……。有名どころを挙げてみましたが、全て白と黒の闘いがテーマになっています。

一方で、日本のファンタジー作品を見てみると、こちらは少し違うような気がします。悪と呼べる者がいるにはいるけれど、ヴィランを名乗るにはどこか脆いような登場人物ばかり。『十二国記』や『精霊の守り人』のように、完全な正義など存在しないという視点で描かれている作品も少なくないです。つまり、それぞれにそれぞれの正義があると。

面白いですね。一神教多神教神道)の違いかな。

どちらの視点も悪くはないですが、最近思うのは、「相手にも相手の言い分がある」ということを知らなくてはならないなと。人間は、白か黒かで分けられるほど単純ではない。SNSや某動画サイトのコメント欄を読んでいると感じますよね。相手の間違いをあげつらうだけでは、何の解決にもなりません。

藤原正彦氏は言いました。論理には限界がある。合理性が重んじられる場面にこそ、和の心が必要なのだと。



この主張に対しては当然、批判の声もあります。けれど、何となく分かる気がするんですよね。というのも、相手に対して尊敬や思いやりの気持ちがなければ、議論は成り立たないと私自身は思っているからです。

話がえらい飛躍しましたが。勝ち負けを決めない姿勢って大事だと思うんですよ。今の世界情勢を見ていてもそう思うでしょう?どちらが勝とうが、起こったことは変えられません。負けが確定する以上、そこに犠牲が出ていることにはまず間違いがないのですから。

理性的であらねばならない時こそ、和の心を。頭の片隅に置いておきたいものです。





なお、西洋思想を否定しているわけではありませんので、念のため。あのはっきりとした考え方がいい方向に向かうこともありますのでね。

序盤の、「『エラゴン』についての感想、いらなくね? 」と思ったそこのあなた。頼むから語らせてくださいよ。絶賛ばかりだと、反対の意見を言いたくなる性分なんですよ。

まあ、天邪鬼だこと。