ほうき星を追いかけて

星のこととか、日々感じたこととか、いろいろ。

理性が必要な時こそ、和の心を


だから、白黒つけないカフェオーレ


こんばんは、わかばです。

先日、『エラゴン 遺志を継ぐ者(クリストファー・パオリーニ著)』という児童書を手に入れましてね。睡眠時間を削りながら、一心不乱に読んでいました。



エラゴン』、子どもの時からの憧れの本だったんですよ。その存在には気付いていたけれど、横目で見やるだけで終わらせていたんです。なぜなら、あまりにも分厚すぎるから。あれを見たら、『ハリー・ポッター』なんて目じゃないなと思えてくるくらい。

感想の方はというと、児童文学としては完璧だと思います。十代の少年が書いたにしては、恐ろしいほど出来がいい。あれだけの文章を書いて、ちゃんと完結させているのだから素晴らしいです。物語を完成させることほど難しいものはないですからね。この世には、未完の名作がごろごろ転がっています。

気になるところといえば、独自性に欠けていることですね。世界観が『指輪物語』そのままな上に、登場人物(特に主人公)に魅力がありません。伏線の張り方も雑なので、すぐに展開が読めてしまいます。どうせマータグが実の兄貴で、敵対するんでしょ。続編を読んでいないうちから想像がつくもの。

ご都合主義なのも相まって、読み手側の感覚としては、最初からレベル99の状態でRPGをプレイしているような気分でした。「映画は駄作だけど、原作は神」という声を聞きましたが、私の中では良作どまりでしたね。大人の方には、少し物足りないと思います。親御さんには『指輪物語』を、お子様には『エラゴン』を。でちょうどいいかもしれない。

で、本題に入りますが(笑)すみません、いつも前置きが長くて。……こういう西洋ファンタジーを読んでいて思うんですけど、ものすごく世界観が分かりやすいですよね。

「我々は白!あいつらは黒!悪者をぶっ潰せ!! 」の勧善懲悪の世界です。『ハリー・ポッター』、『ナルニア国物語』、『ゲド戦記』、『指輪物語』……。有名どころを挙げてみましたが、全て白と黒の闘いがテーマになっています。

一方で、日本のファンタジー作品を見てみると、こちらは少し違うような気がします。悪と呼べる者がいるにはいるけれど、ヴィランを名乗るにはどこか脆いような登場人物ばかり。『十二国記』や『精霊の守り人』のように、完全な正義など存在しないという視点で描かれている作品も少なくないです。つまり、それぞれにそれぞれの正義があると。

面白いですね。一神教多神教神道)の違いかな。

どちらの視点も悪くはないですが、最近思うのは、「相手にも相手の言い分がある」ということを知らなくてはならないなと。人間は、白か黒かで分けられるほど単純ではない。SNSや某動画サイトのコメント欄を読んでいると感じますよね。相手の間違いをあげつらうだけでは、何の解決にもなりません。

藤原正彦氏は言いました。論理には限界がある。合理性が重んじられる場面にこそ、和の心が必要なのだと。



この主張に対しては当然、批判の声もあります。けれど、何となく分かる気がするんですよね。というのも、相手に対して尊敬や思いやりの気持ちがなければ、議論は成り立たないと私自身は思っているからです。

話がえらい飛躍しましたが。勝ち負けを決めない姿勢って大事だと思うんですよ。今の世界情勢を見ていてもそう思うでしょう?どちらが勝とうが、起こったことは変えられません。負けが確定する以上、そこに犠牲が出ていることにはまず間違いがないのですから。

理性的であらねばならない時こそ、和の心を。頭の片隅に置いておきたいものです。





なお、西洋思想を否定しているわけではありませんので、念のため。あのはっきりとした考え方がいい方向に向かうこともありますのでね。

序盤の、「『エラゴン』についての感想、いらなくね? 」と思ったそこのあなた。頼むから語らせてくださいよ。絶賛ばかりだと、反対の意見を言いたくなる性分なんですよ。

まあ、天邪鬼だこと。