ほうき星を追いかけて

星のこととか、日々感じたこととか、いろいろ。

憧れが消え去る時に気付いたこと


時の流れは残酷


こんばんは。

皆様にはお好きな芸能人やアーティスト、インフルエンサー、あるいはモデルや経営者など……。そういった、自分が「この人になってみたい! 」と思うほどの憧れの存在はいらっしゃいますか?

私ね、あんまりそういうタイプの人ーー、いわばロールモデルですよね。できたことがなかったんですよ。好きな芸能人は何人かいたし、自分の容姿に絶対的な自信があるわけではないけれど、なぜか他の人になりたいとは思わなかった。生来が、誰かを慕うには傲慢すぎる性格だからかもしれません。せいぜいメイクを真似するので精いっぱいです。

でも、そんな私にも一人の女性に心酔した時期がありました。一般の方なのでお名前は伏せますが、とても綺麗な人です。第三者の目から見て、個人的に好き嫌いがあるにしても美しいことは認めざるを得ない。そういったオーラをお持ちの方でした。まあ、美人は大体そうですよね。

見た目はもちろんですが、一番惹かれたのはその方の書く文章です。醸し出す雰囲気が独特でした。今思えばコテコテの装飾的な世界観でしたが、とにかくバランス感覚が優れていたのです。華やかな演出の合間に見える気さくな顔、透明感のある感性、そして自立した姿。それらが絡み合ってちょうどいい空気を作りだしていました。

ニラの花。可憐ですね

学生の頃はブログを読み漁ったものです。一度だけお会いした際に、

「あなたは自分の良さをよく理解してますね。お化粧もお召し物もとても綺麗です。似合ってますよ」

とお褒めの言葉を頂いたことがあり、飛び上がるほど喜んだことがありました。

単なるお世辞だったのでしょうが、その時は素直に嬉しかったです。ちょうど映画版『卍』を観たばかりで、若尾文子さんの真っ黒アイラインにオレンジリップ、つまり昭和メイクですね。それを真似ていましたから、周りからは時代遅れだと言われていたのです。そんな時に頂いた温かい言葉だからこそ、心に沁み渡りました。



「誰かが作った流行ではなく、その時自分がなりたいと思った姿に近付くよう努力すること」。彼女の姿勢は、そのまま私の人生のお手本となりました。

さて、時は経ち7年後。憧れだった人のSNSを見て、私はショックを受けました。彼女の姿がびっくりするほど変わり果てていたからです。

見た目がどうこうという話ではありません。むしろ美貌に関しては以前よりもパワーアップしていました。現在は38、9歳でしょうか。吸い込まれるような魅惑的な瞳や透き通った肌は健在です。変わったのは彼女の心でした。

例えば、若者言葉。以前なら安っぽい印象を与えるからと口にしなかったのにも関わらず、現在は多用しています。谷間を強調する服装や熱っぽいメイクもそう。エロは色気にはなりえないから肌の露出は控えろ、濃いすぎるチークやリップは下品に見えるとおっしゃっていたはずです。

特に変化が著しかったのが恋愛論で、今は男性にどう見られるか、どうしたら男性は自分に惚れこむか、男性が好きな匂いは……。どこをとっても男性、男性、男性です。かつては愛されるかよりもどう愛するか、男性受けよりも自分受けを主張なさっていたのに。まるでご自身が煙たがっていた子宮系の教えのようです。今時珍しいですよ。当の男性ですら自分のためにメイクをする時代ですから。

ベコニアさん。切りっぱなしの布のような葉っぱです。

まあ本人からしてみれば、「どう変わろうが自分の自由だわ。あんたが勝手に期待して失望しただけやんけ」だと思います。全くもってその通り。服装もメイクも個人の自由です(私が昭和メイクをしていたように)。男性受けだって好きにしたらいい。私だって、お付き合いをしている人の前では可愛くいたいと思いますもの。愛されたいと願うのは当然です。

ただ、昔の美しい彼女ーー。凛とした品のある女性、人を愛しながらも決して自分の軸は失わない女性。その理想像が崩れ落ちたのはなかなかに衝撃的でした。きっと、心のどこかでまだ憧れの気持ちを抱いていたのでしょうね。知らず知らずのうちに完璧な姿を強いていました。人は変わっていくものなのに。

同時に、どう在るべきかは個人の自由だといいながら、他人に在るべき姿を押しつけている自分の身勝手さにも驚きました。ここら辺はなあなあにしすぎると自分の意見がなくなってしまうので変えるつもりはありませんが、せめて他人のスタイルを認めるくらいには柔軟になりたいと思います。

いや、本当に……。時の流れは残酷ですね。

【占いメモ】よたよたな『ふるさと』と音楽の話

こんばんは、わかばです。

今さらなのですが、タイトルに【占いメモ】と書いてある場合は雑談と占いをミックスした内容になっています。星読みオンリーのものは【西洋占星術】で統一しておりますので、興味のある方は検索ボックスを利用してみてください。

さて、時を戻して祖父母の家に泊まっていた時のこと。仕事と庭・畑いじり以外は特にやることもなかったので、フルートをぴぃぷぅ吹いておりました。

可愛らしい印象のあるフルートの音も、部屋で聴くと爆音です。そのため、自宅では休日であったとしても吹くことはできません。2、3年前までは防音設備のある部屋を借りたり、公園に出かけて行って誰かとセッションをしたりしたものですが、にっくきコロナの到来でその機会も失われました。
(弦楽器はオッケーだったのになあ。やっぱり、息を使うからダメなのでしょうかね)

しかし、祖父母のお家は別。なぜなら、周りには畑と山しかないからです。近くに家がないこともないけれど、距離が開いているので音が響く心配もありません。

というわけで、呑気に吹いていたのですが、まあこれが本当にひどい音で

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上野様の奏でる音が「気品ある貴公子」だとしたら、私の音はさながら「千鳥足の酔っぱらい」。基礎練の曲として選んだ『ふるさと』もおぼつかない足取りです。何よりきついのが息継ぎの音で、水中我慢大会の出場者が立てるような騒音ぶりでした。録音は上達のためにかかせないものではありますが、軽く心を抉られましたよ。

ちなみに、楽器の上手さは意外と水星が司っているのではないかと私は思っています。手先の器用さ=水星という安直な理由からですね(笑)乙女座は最も音楽家に向いていない星座だと言われていますが、楽器を演奏することにおいては割と上手な方ではないかと。正確さを求めてしまう面や、完璧主義なところもコンクール向けだと思いますし。

また、音楽というと真っ先に挙げられるのが金星海王星アスペクトですが、個人的にはピンときませんね。あまい雰囲気があるのは確かなので、どちらかというと舞台向けなのではないかと思います。幻想的で美しい、桃源郷のような世界を表現することができるアスペクトです。インスピレーションを受け取ることに関しては有利な絡みかもしれません。

いずれにせよ、金星も海王星も非常に受け身な性格なので、何かを生み出すには物足りない天体です。例えるなら教養としての音楽、といったところでしょうか。根を詰めて練習するならば能動的な天体が必要です。ただ、純粋に楽しむことに関しては一番だと思いますね。好きこそものの上手なれ、です。

作曲については、水星と海王星、または天王星アスペクトがほしいところ。これは作家も同じです。見えない何か(トランスサタニアン)をキャッチしてそれを形にする(水星)才能です。冥王星はどちらかというと、絵や小説、漫画の方が表現しやすいかな。何しろ重すぎる天体なので。

音楽だと何が当てはまるんでしょうね。サン=サーンスの『死の舞踏』とか?でも、サウンドが優雅すぎるんだよな。切迫した死というよりは、どちらかというと死の妖精がバレエを踊っているようなイメージの曲だから。絵だと有名で分かりやすいものがありますね。ピカソの『ゲルニカ』です。冥王星の破壊的な部分がよく表れています。

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(キーボードを打ちつつ気が付いた。『パリは燃えているか』があるではないか!映像の世紀のイメージが強すぎて、もはや第二次世界大戦の画像が脳内でスライドされる曲です。)

金星絡みだと天王星が強い印象があります。尖った芸術的センスですね。音楽だとギタリストが当てはまるのではないでしょうか。クラシックに置き換えるとリストさんです。彼、現代に生まれていたとしたら高確率でギターを選んでいたと思うんですよ。テクニック重視だもの。

とまあ、好き勝手つらつらと書いてみましたが、当てはまる箇所はあったでしょうか。音楽好きな方もそうではない方も、ぜひご自身のホロスコープと照らし合わせてみてください。

ちなみに私のフルート、祖父は「肺活量が鍛えられてよろしい」と寛大だったのですが、音楽の心得のある祖母からは不評でした。いわく「音楽は練習。練習が大事なのよ」だそう。その時に浮かべていた笑みの暗いことときたら!

……頑張って練習します。




ちなみに『ふるさと』は「うーさぎおーいし」のあれです。まあ、帰りたくなくなるような出来栄えでしたね。

話は変わりますが、金星と海王星の世界はミュシャが一番近いかなと。金星冥王星、火星だとエゴン・シーレですね。『クリムト』なんかは明るいですが、それ以外はねっとりしています。色調がそこまで暗くないので、あまり冥王星感はないですけど。

波乱万丈猫物語


ネコの人生も楽ではない


こんばんは、わかばです。

ここ最近の私のブログを読んで、「秋月ったら珍しく力を入れて書いてるじゃん。そろそろ雑談が来るんじゃない? 」と思われた方。勘が鋭いですね。今日は本当にただの日記です。興味がない方はスルーで。星の話は一切出てきません。

さて、現在私は熱烈な片思いをしております。

そう……。

おネコ様に。

こちらのタタン嬢は波乱万丈なネコ生を送ってこられた方。そのため、立ち姿にとてつもない貫禄が備わっているのです。決して太っているわけではありません。これは貫禄です。

大事なことなのでもう一度言います。貫禄です。

元々は祖父母の家の近所で飼われていたおネコ様だったのですが、飼い主様に先立たれてしまったそうで。もちろん、その方も高齢だったために自分の方が先に亡くなってしまう可能性があることは分かっていらっしゃいました。なので、自身の息子さんに後のお世話を頼んでいたのですが、この息子さんに問題があったのです。

飼い主様が亡くなって間もない頃、息子さんは「猫は嫌い」「甘えてこないから可愛くない」という理由でタタンを家から閉め出しました。まあ、よくある展開です。

鬼畜なのはここからで、家の周りをうろうろされるのは癪だからと車をお飛ばしになり、お父上が可愛がっていた愛猫を山中に置き去りにしたらしいのです。いや、飼わないなら飼わないで責任を取りなさいよ。もっと他に選択肢があったでしょうに。

しかし、そんなことでへこたれないのがタタン嬢。なんと数週間かけて、飼い主様が住んでいたお家へと帰ってきたそうです。稀にいる帰巣本能を持つタイプのおネコ様だったんですね。

そんな彼女ですが、1匹だけで戻ってきたわけではありませんでした。まだ小さな子猫たちを引き連れてカムバックしたのです。おそらく捨てられる前から身ごもっていたのでしょう。

近所の人たちのほとんどは一家を温かく受け入れましたが、世の中には猫嫌いもいます。子猫の受け入れ先を探している最中に、タタンたちは姿を消しました。当初は例の息子さんのせいだろうと噂されていたのですが、後になって別の人が捨てにいったのだということが分かりました。やり方は同じ。山奥に一家ごと置き去りです。

それから一週間後、タタンは再び戻ってきました。けれど、子どもたちの姿はありません。捨てに行った人いわく、「山を下った先には猫をたくさん飼っている家がある。子どもたちはそこに拾われたのだろう」とのことですが……。この言葉、信じる価値はあるのでしょうか。

確かなのは、その一週間は大雪に見舞われたこと。山は路面が凍結するほど寒かったこと。タタンの肉球にしもやけができていたこと。そして、戻ってきたタタンが子猫たちの遊んでいた場所にうずくまり、雪の降る中一歩も動かなかったこと。これだけです。本当のところは誰にも分かりません。

その後、タタンは二度と飼い主様のお家に近付くことはありませんでした。代わりになぜか祖父母の家を縄張りとするのですが、それを語ると小説が出来上がってしまうので今回はここまでです。

いや、そこでやめるんかいって感じですけれども。タタンとは付き合いが長くなりそうなので、星読みブログの合間にでも書こうかなと思っています。猫好きさんはぜひ寄っていってください。

それでは。




二度目に起こった悲劇を踏まえて、タタン嬢には避妊手術を受けていただこうという案が我が家で持ち上がっているのですが、問題はどうやって引き寄せるかですよ。二回も捨てられたせいで、人が近付くと逃げてしまうんです。

トラウマっちゅーものは厄介ですね。

ちなみにタタン嬢を追い出した例の息子さん、なんとお父上と同じ教職に就かれているそうです。どんな顔をして生徒たちに道徳を説いているのか、ぜひ見てみたいものです。

……すみませんねえ。性格が悪くって。