愛は筋肉のようなもの
こんばんは。
久しぶりにブログを読み返していたのですが、ちょうど自分の中でタイムリーだなと思う記事がありましてね。改めて取り上げてみることにしました。
こちらです。11か月前に書いたもののようですね。文章がさらっとしていて、冷たい(笑)
何が気になるかって、月に対する自分の考え方が浅すぎること。「基本のキからやり直せ」と圧をかけたいところですが、まあ今回は置いておくとしましょう。私が目をつけたのは、次の文章です。
才能ですよ、愛することができるのは。(中略)あなたは、誰かを愛することができるかもしれないという、すてきな可能性を持って生まれてきたのだから。
これね、本当にそうだと思います。最近になって、しみじみと感じることが多い。
毎度ゲームの話を引き合いに出してしまい恐縮ですが、現在私は「夜廻り3」と並んで「エルデンリング」というゲームを必死に追いかけています。その中で、満月の女王、レナラというNPC(操作できないキャラクター、登場人物)が出てくるんですね。
ああ、好き。
正直、ラニやフィアやメリナより好き。美しいだけではないところがいいんです。画像だと満ち足りた表情をしているように見えますが、この女性、悲しいことに精神を病んでしまっています。原因は配偶者に捨てられたせい。
私ね、それを知った時に羨ましいなと思いました。
いや、もちろん夫婦円満に越したことはないんですよ。誰だって浮気なんかされたくないですし(ラダゴンさんのアレは浮気というか、一体化というか、おっと誰かが来たようだ)、メンタルだって健全な方が好ましいに決まっています。だけど、心を病んでしまうまで相手のことを想っていたのはすごいなと。それだけ、愛が強かったということじゃないですか。
私は根っからの冷血漢ですから、恋愛はいつも頭で決めていたんです。この人を好きになるべきなのだろうか、とか本気で考えていましたからね。フィーリングの点から見れば、まだ初恋すら経験したことがありません。
そんな人間からしてみれば、レナラのような純真無垢な人は眩しく見えるのですよ。誰かをまっすぐに愛することができるなんて、なんてすばらしい才能を持っているのだろう、と。
冒頭で紹介した記事では、オードリー・ヘップバーンの名言について言及しました。人のことを色眼鏡を通してしか見ることができなかった私は、まさに退化した人間だと言えるでしょう。
お読みになっているあなたが、どのような人生を送っているのかは分かりませんが、ぜひ愛という筋肉を使ってみてくださいね。親御さんに、お子さんに、ご友人に、恋人に。何より今日という日を一生懸命生きた自分自身に向けて。
誰かを愛することができるあなたは、美しいです。