ほうき星を追いかけて

星のこととか、日々感じたこととか、いろいろ。

違う年代の人と話すのは面白い 年下編


芽を摘み取っておきながら、花が咲かないと愚痴を言う


※6月10日、一部誤字を訂正致しました。


こんばんは、わかばです。

今日は年下編ですね。私は面倒見がいい方ではないので、年下の友人は少ないのですが、それでも仲良くして下さる子はいます。大体、6~8歳くらい下の子たちが多いかな。ひと回りとまではいきませんが、世代は微妙に違います。

連絡手段はインスタが当たり前。LINEの方が使いやすいと文句を言うと、「古いよ! 」と返されます。それでも個性は様々で、インスタ!tictok!tiktokですね。英語の出来なさと興味の無さがバレバレ)整形メイク!みたいな子もいれば、お返事はメールかお手紙で。休日は古本屋を巡りましょう。といった古風な趣味を楽しむ子もいます。人間って面白いねえ。

その「お返事はメールか~」の子と少し前に遊んだのですが、興味深いことをおっしゃってましてね。大人、特に中高年の方からの若者に対する期待が重いと感じる場面が多いのだそう。


「姉さん、ちょっと聞きたいんだけど」

「なあに?優等生ちゃん」

「姉さんって、猫を被るのが上手いし、本当はわがままなくせにイエスマンに見せかけるのが得意じゃん。やっぱり、周りの大人とは上手くやれてるの? 」

「今はね。それこそ、あんたくらいの歳の頃は教師に対して口答えしていたし、前の職場ではお局に歯向かったよ。結果、転職するはめになったわけだけれども。世の中を渡っていくためには、やはり嘘と建前が必要だな!忖度っていい言葉だと私は思うぜ」

「……」


大人のあまりにも汚すぎる笑みに黙りこむ少女。ああ、この子も世界はきれいだと信じているのかな。だったら、それに合わせてあげなくちゃ。いたいけな青少年の心を守る決意を固めた時ですよ。


「そう思うってことは、無能な大人が多いんだね」

「……ん? 」

「上に意見を申し立てたら冷遇されるんでしょ。で、嘘をついて媚びなければいけない状況になるんでしょ。この『クリーンな社会を目指そう』の時代に。言い出しっぺの本人たちが変わらないんだから、社会が変わるはずがないよね」

「ずいぶん荒れてるな。どうしたの」

「これ、読んでくれる? 」


出てきたのは、ちょっとした教科書ほどの薄い冊子。巻末を見てみると、何やら作品の批評らしきものが並んでいます。


「これ。まさか、また賞を取ったんじゃ……」

「めっちゃ小さい賞だよ。どっかの教育委員会か何かが主宰のやつ」

「きみ、本当に何でもできるねえ。もう作家になっちゃえば?受験が終わったら、大手出版社の方に応募してみなよ。もしかしたら、最終選考までいけるかもしれないよ。これだけ評価されてるんだから」

「え、嫌だ。作家なんて稼げないもん。ねえ、ちゃんと作品読んでくれた? 」

「読んだ。プロの作品みたいだったね。短編集に入っていそうなーー」

中年作家の短編集でしょ」

「……うん」

「それね、十代しか応募できない賞なの。『十代らしい感性で書かれた作品を読みたい』って、審査員も言ってんの。なのに、実際に評価されているのは古臭い作品なんだよ。俺tueee!な作品は落とされてるわけ。そっちの方が子どもっぽいのに」

「まあ、よくあることだね」

「書いてて嫌になったわ。偶然出会った不思議な子と遊んで、そこから人生の教訓を得るとか。今時、幼稚園児ですらタブレットいじってるのに、そんな子いるわけないじゃん。主人公だって、スマホ見るのに忙しいよ」

「きっと、審査員の理想が投影されてるんだろうね」

「ほんとそれ。散々個性を潰しておきながら、心のどこかではピュアな十代を夢見てんの。で、こっちが黙っていたら『ゆとりだ』だの、『今の子は欲が少ない』だの勝手に言うわけ」

「あげくの果てには、『今の若い子たちがいい未来を作っていく』とか言い出すしな」

「その考え自体がもう古いんだけどね。今までそれを期待して、良くなったことが一度でもありましたか?って聞きたくなるわ」


内容的には、ガキんちょとひよっこが好き勝手に喋っているだけですが。でもこれ、本当に肌で感じるんですよね。若さについて語る時に、自分が生きていた時代のことしか頭にない方が多いというか。

私自身はゆとり世代後期の生まれ、「さとり世代」と呼ばれる世代の人間ですが、それにしたって見方が偏りすぎていると思います。さとり世代がみんな、無欲で大人しいのかと言われればそんなことはない。バリバリ稼いで、ブランド物を持って。今まで通りの夢を描いている子だっていた。ただ、希望を持てないから現実主義者にならざるを得なかったというだけ。

そもそも、若い世代=瑞々しい感性っていうのがもう古いんですよね。一括りにしてまとめることができる世代ではないんです。なぜなら、溢れんばかりの情報の中で育ってきたから。

情報が多ければ、必然的に好みも細かく分かれていくわけでして。一人のカリスマが流行りを作っていた時代の人とは、少し違う空気の中にいるんです。だから、マイノリティをすんなりと受け入れることができる。その中には、古い考え方の人間もいます。

保守的なひよっこである私ーー、古い考え方の人間はこう思っています。これからの時代を作っていくのは、子どもたちではなくて「有志」の人たちかもしれない、と。




例えば、ある村の若人たちと長老との間で議論が起こっているとして。

「おばば、この村は変わらなくちゃなんねぇんだ! 」「いいや、ご先祖様から教わったやり方を変えるわけにはいかねえ」だったら、私は迷わず「変えるわけにはいかねえ」を取ります。

若者全てが新しさを好むわけではないのだよ。