ほうき星を追いかけて

星のこととか、日々感じたこととか、いろいろ。

正解と不正解、不純物しか残さないフィルター


残るのはくだらない正義感と怒り


最近、はてなブログにログインするたびに思うのですが、もしかして投稿頻度を少なくした方がアクセス数がアップしたりする……?

きちんと統計を取ったわけではないので何とも言えませんが、体感的に週5日制で書いていた時よりは3日制の方が、3日制よりは2日制の方が、明らかに伸びているような気がします。2000字足らずの記事で天下を取るとはこれいかに。ブログが流行っていた頃は、「毎日投稿3000字」が叫ばれていたのにね。時代は変わるものです。

話は変わりますが、ふと思うことがありまして、学生の頃よく覗いていたブログを訪問したんですね。内容は天使との会話から得られた気付きを文字にするというごりごりのスピリチュアル系で、ブログ主さんのお人柄が良く、ワードセンスもすばらしかったのでよく拝見させて頂いてました。もう3,4年も前の話です。

ブログを読んでみますと、相変わらずの冴えた言い回しです。着眼点も面白くて一気に読み進めたのですが、肝心の天使の話が出てこない。おかしいなと思い過去の記事を遡ってみると、どうやら発信の方針を変えたそうで。曰く、「何が正解で何が不正解なのかを問われるのに疲れてしまった」と。

それを読んだ時、「ああ、分かるなあ」と呟いてしまいました。

実は私、この「ほうき星を追いかけて」の前にもWordpressでブログ(別名義)を書いていたのですが……、これ、違う記事でも触れましたっけ?そこではけっこう自由に表現していたんですね。そもそもがアウトプットの一つの形にしか過ぎませんでしたし、今のようにサービスを宣伝していたわけではありませんから、気楽に書くことができたんです。

可愛く言えば「歯に衣着せぬ物言い」といったところでしょうか。割と強めに自分の意見を打ち出していました。

このイラスト、まあまあ好きです(笑)

色が分かりやすいと読者さんが早めにつきます。言いたくても言えないようなことを代弁してくれているのって、読んでいて気持ちがいいですからね。おかげ様でたくさんの方から応援して頂いたのですが、一方で批判的な声も寄せられるようになりました。まあ、これは仕方がないです。全ての人に好かれるような文章なんて書けませんし、自分だって賛同できない思想についてこき下ろしていたわけですから。人をぶってもいいのはぶたれる覚悟がある人間のみ、というだけの話です。

そんなわけで、批判についてはさらっと流していた私ですが、唯一我慢ならなかったのがコメント欄の「誰が正しいのか論争」でした。

「〇〇さんのことを悪く書いていますけど、あなただって特別な能力があるわけではないですよね?偽物がしゃしゃり出てくんなwww」

「偽物とか言わないでください。今までのブログをちゃんと読んでいますか?わかばさんはスピリチュアルにも理解がある方ですよ。私は本物だと思っています。ちゃんとしたスピリチュアルも知らないくせに噛みつくのはやめてください」

おいおいおい、ちょっと待てい。

私は自分のことを本物だと書いたことはないし、相手を偽物認定したこともないぞ。

ただ、相手の意見には頷けないということ、件の主張は好きになれないということを言っただけや。なのに、なーんでそれが「本物/偽物」の話にすり替わるのか。大体、ちゃんとしたスピリチュアルって何よ。偽物は意見すら言えないわけ?まったく、言論の自由がきいて呆れるわ。

……まあね、どう受け取るかは個人の自由ですからね。発信者に受け手側の色眼鏡をどうこうする権利はありませんから。私自身、歪んだフィルターの持ち主ですし。でなければ、こんなブログ書きませんよ。占いが好きなんだぜ?ヘンリー・ディーンも頭の中で笑ってらあ。
(あーらら、かーわいいじゃん?)

wakaba-star26.hatenablog.com

その後、前ブログは反対派から「アンチスピの住処」「ウォッチャーの温床」などという(スピを語るブログにしては)あんまりなお声を戴き、最終的には穏やかな形で一生を終えました。いや、まあシステムがバグっただけなんですけどね。あれだけお金と時間をかけたのにな……。こだわりすぎたのが良くなかったのかな。

こういった経験がありますから、冒頭で述べたブロガーさんの言葉には共感しかないわけです。私が普段から「正解はないよ」としつこく書く理由はここにあります。正解や不正解を作った時点で、そこには不毛な争いしか生まれない。SNSを見ればよく分かりますよね。

他人の思想に触れる時も同じで、今ではそういった目で判断することはほとんどないです。好き嫌いはありますが、嫌いだからといって相手の主張が間違っているとは思いません。初期の方で否定していたゆるふわスピや一部の過激な陰謀論者(陰謀論ではなく陰謀論者です。ここ重要)についてあまり言及しなくなったのは、この考え方が影響しているのだと思います。

ある意味、自分と他人との線引きができるようになったということですね。その分、牙を抜かれた感は否めないですが。

まあ、正解にこだわって(本来の)読者さんから見放されるよりはマシなので、しばらくはこのスタンスでいきたいと思います。白黒で物事を判断しない。その方がずっと、世界が複雑でより味わい深いものになっていくはずです。

wakaba-star26.hatenablog.com


スピリチュアルでは、嫌いだとか居心地が悪いだとかを避ける傾向にあると思うのですが、私はこれらを悪いものだとは思わないんですよね。不快に思うということは、自分にとって異質な存在だということでしょう。

自分と違うものが自分の世界にいる。まさに多様性ではないかと。

穏やかな環境もいいものですが、そうなると成長は望めないような気がします。流れをせき止められた水は淀むだけ。学びは不快なものから得られることも多いです(だからといって、あえて嫌な場所に身を置き続ける必要はありませんが)。