ほうき星を追いかけて

星のこととか、日々感じたこととか、いろいろ。

Basilの悲劇と結果に期待をするなという話


大事なのは結果ではなく、過程である


2022年5月5日、午前9時頃にその悲劇は起きました……。

と、その前に。遡ること数か月前、「努力した結果が出ない!何で私だけ! 」とふんすふんすしていた私に、ある人が言いました。

「あのさあ、やりたいと思ったことが全て成功するわけじゃないんだよ。大事なのは『挑戦をした』という事実で、失敗なんてむしろ当たり前なんだから。方向転換して、また種まきすればいいじゃん」

正論。ド正論。しかも優しい……!

しかし、それを喰らってもなお文句を言い続ける私に、その人はこう提案しました。

「お前さ、植物育ててみれば? 」

「はあ? 」

「花でも野菜でもいいからさ、種から育ててみなよ。植物が育っていくのを見ていたら、早く結果がほしいなんて思わなくなるから」

いわく、結果に失望することもなくなるよ、と。ほんまか?(笑)

そんな調子で、その時は歯牙にもかけなかったのですが、ここ一か月で気が変わったのです。きっかけはカルペパーのハーブ事典に目を通したこと。


(こちら、西洋占星術に興味がある方は必見ですよ。占いがまだ医学と結びついていた時代の話です。もちろん、現代の医学とはかけ離れていますので、記載されている治療法を試すのはやめてくださいね)

「目の治療にはストロベリーと牛糞を混ぜて瓶詰にしたものを使う」。そのおぞましい文を読んだときに、私は閃きました。

そうだ、ハーブならベランダでも育てられるんじゃないか。野菜よりも手がかからないだろうし、収穫すれば料理にも使うことができる。一石二鳥!
(この時点で結果しか見えていない)

そこで、たまたまその場にいた父を脅迫し、ホームセンターにてバジルの栽培キットを手に入れたのです。

そして、運命の5月5日。

私は……、大罪を犯しました……。

プランターの準備はできた。さあ、種まきだ。そう思って種の入った袋を破くとですね、胡麻の赤子みたいなものが飛び出てきまして。キャッチした手を開いてみると、そこには点々とした黒いすりごまが……。

生命の声なき悲鳴が聞こえるようでしたよ。

まあ、これだけならただのド畜生で終わるのですが、問題はそのあとです。本来なら1つの窪みに4,5粒ずつ埋めるところを、なぜか私は7,8粒くらい埋めてしまい。

はっと我に返った時には、時すでに遅く。ハーブの天然蠱毒を作ってしまったというわけであります。

特 級 呪 物

あああ、ジェノベーゼよ、ピザよ、カプレーゼよ。

朝顔のようにしっかりとした種なら救済も可能でしたが、彼らは胡麻の赤子。掘り返したところで、すりごまになってしまうのが関の山です。というか、小さすぎて判別ができない。

このままではバジル過激派に襲われてしまいそうだったので、父にLINEを送りましたが、返ってきたのは「自業自得。それ、多分腐るやろな」の言葉でした。男の人って、慰めてほしい時に正論をかましてきますよね。あれ、一体何なの?(逆ギレ)

現実は甘くない。逆境は一人で乗り越えるもの。「大事なのは過程だ」……その言葉を噛みしめながら、土の牢獄に水を吹きかけています。



ところで、タイトルの「バジルの悲劇」。世界史に載ってそうな感じが致しません?

テニスコートの誓いがあるのなら、バジルの悲劇があってもいいと思うの。私は。